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こないだの本の話
前回のブログで、ブログが20年前にあったら流行ってないんじゃないんじゃないかみたいな事を書いていたのですが…。で、個人が弱まってるとかなんとか偉そうに…。

で、ある本を読んで影響を受けてこんな事を書いたのですが、その本なんと30年前に書かれていました。
本当にすごい人だな…別役実さんって。脱帽。

そんな素敵な先輩(恐れ多いですが)が演劇をやっているというのは本当に身が引き締まる思いです。

そしてこの本を読んだ後、養老孟司さんの本を読むとこれまた面白い。倍面白い。

元々個人が日本にはないというような事を書かれています。(まだ途中なのですが)
その理論として、日本には自分、私、僕、手前、等数多くあるし、相手の事を呼ぶのもあなた、君、てめぇ、大阪では自分、子供には僕ちゃんなど数多くあって自分と他人の境界線がないというような事が書かれていました。(なんせまだ途中なのに書いてすみません)

よりその辺りの事がよく分かるような気がしました。

今年の僕のアイドルは別役実さんと養老孟司さんで決定しました。

訳の分からない事をまたもや書き連ねてしまいましたが、なんせ関係の中で生きていくという事は当たり前ですが人間相手の事なんです。数多くの媒体を通すことにより人間くささが消えてしまうように感じます。そうすると情報としての人間関係でしかなくなって結局、人を情報として扱う事になるのだと思います。

演劇という媒体を通しはしますが、体感ができるエンターテイメントは舞台です。来年は活動しますので是非観にきて頂きたく思います。

それでは素敵な年越しをどうぞお過ごし下さい。皆様の2008年がよりくっきりした年でありますように。

コバヤシ
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by tensaihotel | 2007-12-28 13:37
ブログの話 第三弾
第二弾は佐藤さんの意見でしたが、最初にブログの事を書いてから暇ではないんですが考え続けてました。ウェブログの事を。

で、ある本を読んでいたら、最近の都会の子供達がどんどんおしゃべりになっているというのがあって、それとこのひっきりなしのブログというのは同じなんじゃないかなっと。
この本によると、例えば、道ばたでぼーっとしてると、誰かが「どうしたの?」って聞いてくるから応えなくてはいけなくなると。「これこれこういう理由でぼーっとしてます」とぼーっとにも理屈が必要になってきているという。というか言葉が必要になってきていると。

それと同じ事なんじゃないかな?ちょっと色んな意見をはしょってますが、そう思う訳です。

今から20年前だったら、このブログというものさほど流行ってないんじゃないかなと。日記まで公開させるというのは、かなりプライベートな部分まで見せるという事な訳で、今のように関係性の方が個人より強い時代じゃなかったような気がするので流行らないんじゃないかななんて思いました。自分探しなんて言うのも流行っていましたし。(僕はまだその頃子供だったのですが、自分探しというのは非常に不思議に思いました。むしろ宝を探せばいいのにと。)

今現在は、個人というものより関係性の方が強いように思うのです。情報量が圧倒的に増えたという事もあって、個人の意見というのがもうほとんど皆無のような気がするのです。

で、ブログの話に戻りますが、関係性の中にいるという事は個人が弱まっているという事で、多くの人が場所に合わせて多少なりとも自分を変化させていることと思います。どこにいても「この人変わらないねぇ」なんて言われる人は余程のカリスマか暴れん坊かウザイ人だと思います。(僕はウザイ以外のそういう人になりたいと思っていますが)

個人が弱まっているっていう事は、自分を関係の中で確かめる事しかできないと。極論かもしれませんが、そういった事を思いました。で、常に確かめる術がひっきりなしのブログなのではないかと。会っていなくても自分を確かめる事ができる。便利。そんな理由でこういったブログが流行ってるのではないかと思いました。それは読む方も同じ事なのかも知れないとも思いました。

だらだらと書いてしまいましたが、また何か思ったらブログにひっきりなしに書いていこうと思いました。

小林
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by tensaihotel | 2007-12-23 13:09
表現の自由
表現の自由はどこまでか?

 どこまでも。でも、それを決めるのは「自己判断」。

これですよね。

 私はこのロジックにずっとひっかかっています。

しかも、ブログに関しての表現の自由はすごく難しい。

 「軽く書きこなす事は出来ないしなぁ…」

だから映画を観た感想とか書こうとも思っていたけど

 それも難しい。

恐怖するのは人の目でしょうね。
 
 人の目を想定して、大体想定すれば書けるから、

慣れてくれば書ける。でも少しでも時間をおくともうかけない。

 そこには信頼関係がないからでしょうね。

日常の信頼関係よりもブログのが希薄ってか、無いから書けない。

 それ言ったら前回ブログのままですね。

考えてみます。小さいコミュニティを作りたい訳じゃなし。

 大きなコミュニティ作りたいわけじゃなし。

ただ、知り合った人とかかわりたい。
 
 それが私にとっての弱点になるような人とは関わりたくない。

結果を求めるのは「世間」の常識が「思想」にとってかわるる日本ならではですかね?

 何も求めないで、自己の「思想」をぶちまけられるのも思想なき日本ならでは?

具体案も有効化も何もない人間の独り言でした。


                  智恵


 
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by tensaihotel | 2007-12-19 08:11
ブログの必要性
ブログっていうのは世の中星の数程増えていて、その中の1つがこれなんだけれど。自分達のブログはさておき本当にどうでもいいブログが多いと思う。

ブログってのは日記感覚で書けるけれど、それを1人でおこなわなくてはいけない。当たり前だけれど。雑誌だったらライターがいて編集長がいて校正者がいて印刷屋がいて他にもたくさんの人が関わってできる。だからミスも少ないし、責任がある。

ブログに対して読み物とか書き物という責任をなくす行為として、頻繁に現状を書き連ねるという行為があるように思える。

新しい日記の形だと思えるが、明らかにものを考えなくなっている事が伺えるものが多い。別にそれはそれで構わないんだけれど、現状をその都度アップさせるという行為の中に人は一体何を求めているのだろうか?そしてそれを見るという行為の中に何を望んでいるのだろうか?

世の中忙しすぎてそれがコミュニケーションの一環になるのだろうか?本人の意思も感じられない、現状報告のブログは、学校の教室で昨日のテレビ見た?と聞くあの感覚と同じなのだろうか?

勿論、情報のやり取りが全てではなく、同じ空間にいるだけで分かる事も数多くある気がする。というか、そういうのを感じなくなるから、KYな人々がふえてしまうんだとおもう。

たまには言語の情報をこえる遠回りな情報のやり取りをしてみるのもいいのではないでしょうか?
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by tensaihotel | 2007-12-16 10:47
   

天才ホテルの従業員達
by tensaihotel
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