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暇と不眠と肥満
なかなかどうして引きこもり生活。
肥満と不眠。ひまんとふみん。ひまとふみん。暇と不眠。 暇と不眠と肥満は共存。まるで「部屋とワイシャツと私」のように 語呂は良いけれど酷い有様。 しかし暇にしてると生活は乱れ元来の不眠は輪をかけた不眠に。 そして動かないから肥満的体型に。 暇は肥満と不眠を呼ぶ。 自分で書いたものを読む。既に書かれたものはエクリチュールとして どんなに駄作であろうと自分の手を離れたものとなる。 「筒井康隆」の「文学部 唯野教授」という作品で文学批評の講義が 内容におりこまれています。 「 作家の人生や環境と作品を照合した文学批評など誰にもできない。」 文学をそのもの自体として関わっていく姿勢がすごく大事だなと思います。 私が文学部にいた頃、卒業論文はまさに作家の人生との照合から推察して 書かれたもの=エクリチュールとの対峙をしていました。 そのやり方だとどこにも確信など持てない。いくら調べても歴史の事実は 確証がないという事と同じ。しかし考古学的検証は必要。いかに作家の時代を 生き、その時代の常識の中でエクリチュールと触れ合うか。 これは挑戦だし楽しさだと思う。 これがあった上で、現在への照合と有用性を初めて考えられる事になるのだと思う。 演劇も同様に考えられると思う。 スタイル、技法、流行先行なのではなく、自らの欲求の必然から生まれた表現こそが その人のスタイルや技法になっていくのだと。 そして人に受け入れてもらう為のものではなく、テキストや目の前の役者同士の発するすべて、舞台上の全てから、観客が共に想像という領域に参加している状態が「消費者」を創らない演劇という創造活動になるのかなと。 そしてそこに現代を生きる私や友人が よりよく生きる ための有用性を 演劇の中に見いだす事が出来るようになるのかな、と。 久しぶりなのと、5倍速の英語を聞きながらなのと、空腹と貧血と、、、 などなど言い訳たくさんですが、久々なのにまた乱暴に書きなぐってますか? 演出 智恵
by tensaihotel
| 2007-05-03 02:42
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